原川慎一郎さん インタビュー vol.2:その土地にある価値を、一番近くで伝えられるレストランでありたい。
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原川慎一郎さん インタビュー vol.2:その土地にある価値を、一番近くで伝えられるレストランでありたい。

Text:Eri Ishida
Photo:Ariko Inaoka

第3回目となるまかないレシピは、2年前に東京から長崎の雲仙へと移住し、レストランをオープンしたシェフ、原川慎一郎さん。代々受け継がれてきた種を守り自家採取の農業を営む農家さん、その野菜を伝え届ける直売所やレストラン。食を中心とした豊かなコミュニティが育まれてきた雲仙での新しい生活について。

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その土地の価値を
一番近くで伝えられる店に

原川さん自身、日本各地、数々の生産者を訪ねてきたからこそ、岩崎さんが続けてきたことの本質的な価値が受け取れたというのもありますよね。

「the Blind Donkey」では、「オーガニック100パーセント」をコンセプトに、都会のハブとして日本各地の生産者のことを伝えていこうと、生産者訪問をしていました。もちろん、どの農家さんも素晴らしい方たちばかりでしたけど、感覚的にも「人懐こい」なんて思ったのは初めてだったから、衝撃が大きかったんだと思います。それに、岩崎さんと出会う前から、生産者訪問をしているうちに東京を離れたいという思いが芽生えていたこともあって……。

山側には原生林が広がる小浜の町。森が豊かなぶん、住宅地にも湧水場があるけれど、原川さんは数日おきに山あいへと湧水を汲みに行き、料理に使っている。コースのはじめに出された野菜だしにも、この湧水が使われている。

東京だと“採れたて”を扱える割合が少ないという意味ですか?

それもありますけど、「東京は特別」という価値観に、違和感を覚えるようになったんだと思います。「東京のシェフ」というだけで、無条件に「すごい」と思われてしまう感じだったり、魚介類なんかも、地元では消費されず高値がつくという理由で築地にまわってしまったり。その土地に、その価値を伝えられる場所が増えていけば、日本全体としていい流れが生まれていくんじゃないかと。すでに、地方で面白い動きをする人はたくさんいて、自分もその一人になれたらと思ったんです。

一般的には規格外とされてしまうような、一つひとつ個性のある形をした在来種・固定種の野菜を販売する直売所「タネト」。もとは、東京・吉祥寺でマクロビオティックの教室やカフェを運営する「オーガニックベース」を主宰していた奥津爾さんと、妻で料理家の典子さん夫婦が、2013年に岩崎さんとの出会いをきっかけに雲仙との二拠点生活をスタート。6年越しで本格的に雲仙へ拠点を移し、「タネト」をオープンした。「タネト」を中心に、岩崎さんを講師に迎えた「雲仙たねの学校」や、典子さんの「台所の学校」をはじめ、在来種・固定種を伝える活動も精力的に行っている。

オーガニック直売所 タネト
〒854-0403 長崎県雲仙市千々石町丙2138-1
https://www.instagram.com/taneto_unzen/

世代を超えて共有できる、
種を中心につながるコミュニティ

原川さんが雲仙に移住して2年が経ちますが、「タネト」の奥津さん夫妻や、岩崎さんの種を受け継ぐ若い世代の農家、田中遼平さんをはじめ、食を介した豊かなコミュニティが育まれているように感じます。

奥津さんは、野菜を販売するだけではなく、在来種・固定種のこと、自家採種のことをより多くの人に知ってもらうための活動を精力的に続けているし、田中くんにおいては、この大変な時代に自家採種を受け継ごうという気概がある。田中くんは、雲仙出身で大学のソーシャルビジネスを学ぶ海外研修でバングラデシュに行った時に、種取り農業に出合ったんだそうです。それでインターネットで種取りについて調べていたら、自分の地元に岩崎さんがいることを知って、帰国してすぐに会いに行って農家の道に。岩崎さんが現役のうちに、地元で田中くんのような若手が現れたというのが奇跡的にも思えます。

自家採種で農業を行う「田中たねの農園」を始めて4年目という田中遼平さん。今では、岩崎さんから受け継いだ種もふくめ、60種ほど育てている。種がその畑の土と馴染むまでに5年10年かかると言われる自家採種の試行錯誤を続けながらも、「畑のまわりの環境もよくしていきたい。虫たちも居心地がいいように木を植えることも考えてます。本来、畑では陽を妨げるという理由で木はないほうがいいとされているけど、人間だけじゃなく、いろんな生きものにとって気持ちのいい空間で、野菜はおいしくなっていくと思うので」と語ってくれた。
https://tanakatane.thebase.in

70代の岩崎さんから、20代の田中さんまで、世代を超えて同じ価値観が共有できるというのも、羨ましいことだと思います。

雲仙で岩崎さんをきっかけにつながってきた人たちの間には、「次の世代につなぐ」という思いが共通してあると思います。僕にも子どもがいるけれど、雲仙に移住するまでは、そんな風に考えたこともなかった。今となっては、そうしたことを学ぶために雲仙へ来たんじゃないかとさえ思っています。