河村製粉株式会社 インタビュー:京の蕎麦を支える、絆と信用
繋がり

河村製粉株式会社 インタビュー:京の蕎麦を支える、絆と信用

Text: Minori Mukaida
Photo: Ariko Inaoka

京都には、「京蕎麦二八会」(以下二八会※1)という会があります。自家製麺にこだわるお店が集まっており、そこへ確かな品質の材料を届けているのが河村製粉さんです。大正10年の創業以来代々京都の蕎麦業界を見つめて来られた3代目河村和男会長と4代目河村浩也社長にお話を伺いました。

琵琶湖疏水沿い、少しピンクが残った葉桜の並木道を歩いたところに河村製粉の工場はある。この辺りは大正時代に水力発電所ができて、製粉・製麺・製材・伸鋼など疏水を利用を基軸とした工業地帯だったそうだ。

場所はずっとこちらですか?

そうです。桜が咲いたらものそ綺麗です。大正時代に自分で電柱を立てて電気を引っ張ってきて工場を始めたと聞いてます。(和男会長)

大正10年創業当時の機械や、先先代が大工さんと作ったオーダーメイドの木製の装置。どれも丁寧に整備されており、レトロで味がある。
尾張屋が契約栽培をしている北海道音威子府産の蕎麦の実。ここで管理され、季節や天候に合わせて微調整を加え製粉される。

二八会はどういった会だったんですか?

京都高島屋の「京の味 ごちそう展」(※2)の1回目に、京都の蕎麦屋が集まってイベントをすることになったのがきっかけです。私の父が社長になった頃、昭和31年に発足しました。これはごちそう展の写真で、これが図案ですね。グループでそれぞれテーマに沿って、展示とメニューを協力して考えるんです。遣都1200年の時は伝統と創生2班に分かれて、水車を借りて飾って、豪華でしたねぇ。(和男会長)

同業者が仲良くお付き合いする会は珍しいですね

二八会とは別に、尾張屋会もありました。我々出入りの業者も参加して、年に2回旅行に行くのが楽しみでした。これが写真です。(年季の入った箱の中には白黒、セピアの記念団体写真。亜里子さんが生まれる3日前の日付の写真も)昭和43年に発足して、会員には茨木屋の池内さん、中川の卵屋さん、片岸の豆腐屋さん、とり安の上田さん…50名はいたと思います。今から言うたら夢みたいな会でした。ぜひともまた会を作っていただいたら幸いやと思います。(和男会長)

家族で代々続けてきて良かったと感じることはありますか?

身内だけなので、大企業には出来ない意思決定の早さはあるでしょうね。どこに力を注ぐか、方向性も相談しながらできるのも、家業の良いところなんかなと思いますね。
今は、新しいことをなんかせんなあかんという危機感があって、十割の押し出し麺機や小型のミキサーを用意したりして、このコロナの間に多品種できるようになりました。ニーズに対応できるようになったのは強みになると思います。(浩也社長)

ご家族で大切にしていることはありますか?

「健康と絆です。あとは、信用も大切です。先代から「長いこと積み重ねた信用も失うのは一瞬や」とよく聞かされました。」(会長夫人美千子さん)

河村会長がひとつひとつ見せてくださった貴重な資料の数々は、まるで歴史資料館のよう。ごちそう展各回のお品書きに展示物、そばが題材になった浮世絵を集めた「そばの浮世絵」、二八会のスタンプラリー台紙に、尾張屋15代目襲名パーティのメニュー表まで!
こうやって大切に残して語り継いでくださる3代目。
コロナ禍を逆手に、もっときめ細かな要望に応えられるようと前に進む4代目。
この丁寧で実直な仕事ぶりは代々確かに受け継がれていて、京都の蕎麦屋から信望を受けているのだと思います。
近い将来、新しい世代で集まることができたら、その時は必ず集合写真を撮りましょう。

※1 京蕎麦二八会 https://kyosoba28.com
※2 京の食文化の伝承と、今後の発展へ繋げていきたいという老舗を受け継ぐ人々の心意気から、1957年にスタート(京都高島屋ブログより抜粋)