
原川慎一郎さん インタビュー vol.1:一つひとつに“意志がある”とすら思える、種取り野菜との出合い。
第3回目となるまかないレシピは、2年前に東京から長崎の雲仙へと移住し、レストランをオープンしたシェフ、原川慎一郎さん。代々受け継がれてきた種を守り自家採取の農業を営む農家さん、その野菜を伝え届ける直売所やレストラン。食を中心とした豊かなコミュニティが育まれてきた雲仙での新しい生活について。

雲仙の地で再スタートした
“新生”「BEARD」
弧を描く海岸に沿って湯煙の立つ、島原半島の西岸に面した小浜温泉。観光地として栄えた昭和のころは歓楽街だった通りに、ここ数年でポツポツと新しいお店がオープンし始めている。そのひとつが「BEARD」。原川さんが、東京で初めて開いたレストランの名でもある。
この“新生”「BEARD」も、メニューはおまかせのコースのみ。その時季、その日、手に入る食材からメニューを考えるというのは、東京にいたころと変わりはないが、大きく変わったのは料理の中心が野菜になったこと。そのひと皿ひと皿が、「雲仙ってこんなところだよ」と教えてくれているような、個性の際立つ生きた野菜の物語が深い味わいとなって体に沁みわたる。土と生産者と料理をする人とが、近い距離でしっかりと結ばれていることが伝わってきた。

小手先のテクニックでは
出せない複雑な味わい
東京から雲仙へと拠点を変えたのは、在来種を守り継ぐ種取り農家・岩崎政利さんとの出会いがあったからだそうですね。
岩崎さんの野菜を、採れたてすぐに料理がしたいと思ったのが大きな理由です。岩崎さんの存在は、東京にいた頃からよく耳にして知ってはいましたけど、畑を訪ねたことはなかったんです。それが、東京・神田で「the Blind Donkey」を始めて間もないころ、雲仙で岩崎さんの野菜を扱う直売所「タネト」の奥津爾さん・典子さん夫妻が店に来てくれて、「ぜひ案内しますよ」と誘ってもらったのがきっかけになりました。
実際に、岩崎さんの畑に訪問したのは、ニンジンの収穫が始まろうとしていた時で……ちょっとおかしな言い方ですけど、すごく“人懐っこい”感じがしたんです。家に帰ると、留守番をしていた犬が喜んで飛びついてくるような(笑)。同じニンジンでも一つひとつに個性があって、「意志がある」とすら思えるくらいの生命力が感じられた。それがどうしても忘れられなくて、もう半年後くらいには移住を考え始めてました。

今日「BEARD」でいただいたコースは、はじめに小さなグラスで野菜だしが出されたのがとても印象的でした。野菜だけで、こんなにも重層的な味わいが出せるんだと。
ある時、岩崎さんの玉ねぎを茹でていて、ふと茹で汁の塩加減をみようと思って飲んでみたら、「これは!」という美味しさで、コースのはじめに出そうと思いつきました。岩崎さんの野菜には、沁みわたるような美味しさがあるんですよね。10年20年と種を継いで、ようやくこの味わいがでてくるんだなという。たとえば、糖度の高いトマトをつくるというようなことは、単なるテクニックなのでわりと簡単につくれてしまうんです。でも、岩崎さんの野菜には、テクニックでは出せない複雑な味わいがある。世界を見渡しても、岩崎さんのような農家さんはいないんじゃないかなと思います。


“種取り”の農業を
生業とすることの難しさ
「在来種」や「自家採種」、聞いたことはあるけれど、身近にはないぶん、その価値が伝わりづらいところがあるかと思います。自家採種を行う生産者自体も少ないですよね。
僕も岩崎さんと出会うまで、在来種は「ちょっと無骨で扱いづらい」という印象を持っていました。自家採種を行う農家さんが少ないのは、かなりの労力がかかるからだと思います。自家採種の場合、種から植えて収穫したあと、花が咲いて種ができるところまで待ってから、種を取り出すんです。種を取り出すまでの間、農地が使えなくなってしまうと経済効率も悪いし、種を取る作業自体も手間ひまがかかってしまう。

そもそも、農法に関係なく農業自体がとても労力のかかることで、以前にも増して天候リスクを抱えている今の状況下では、自家採種もさらなるリスクになってしまいますよね。
岩崎さんの話を聞いていても、年々雨季と乾季が両極端になって、パターンが読めなくなってきていると。岩崎さんの畑はすべて露地栽培なので、自然の影響をダイレクトに受けてしまうんですよね。それでも、「自然に合わせて、寄り添った農の道をつくっていくしかないですね」と言って、奥さんと2人きりで、年間80種類もの種を継いでいる。しかも、一般的な農家さんと変わらない収穫量で、自家採種を生業にできていること自体、すごいことだと思います。
