アイスランド
京都に550年以上続く「尾張屋」創業家の長女に生まれ、17歳で渡米し、写真家に。そののち家族をもち、2013年に家業を継いだ十六代、稲岡亜里子による京の土地性と、食=生命のみなもとである水へと思いをめぐらせる探訪の記録。
私をふたたび京都へと引き戻してくれたのは、アイスランドの水でした。
ニューヨークに暮らしていた2001年に、間近で起こったアメリカ同時多発テロ事件。人と人とが殺し合う戦争など、それまでの私には映画やニュースを介した遠い世界の出来事でしかなかったのが、その時はじめて現実のものとなったのです。人間の弱さ、儚さを思い知る、全身の細胞すべてで恐怖を感じる体験でした。
その翌年に訪れたアイスランドのある土地で、私はうつくしい水辺の風景と出逢い、写真を撮り始めました。シャッターを切るたびに、この地球に生きていることの神秘を感じ、魂が癒やされていく。あの悍ましい出来事を目の当たりにしなければ、それはただただうつくしい水辺の風景であったかもしれない。けれど、そのとき私は水という存在に生命を、地球を感じ取ったのです。そして、このアイスランドで撮った作品を、私の初の写真集『SOL』としてまとめることにしました。
写真集を形にしていく作業の中で、不思議と自分の中に眠っていた子どものころの京都の記憶が少しずつ、鮮明に呼び起こされていきました。アイスランドのうつくしい水、やわらかな苔、はるか長い歳月そこにあり続けたであろう石……撮影していたときには気づかなかったけれど、それは子どものころから京都の寺院や神社で感じてきたあたたかな感覚の記憶に通じていました。あのころは、大人になった今よりもずっと、見えないものが見えていたのでしょう。
身の回りの自然に宿された、神様、龍神様、妖精たちの存在を、体が覚えていました。
京都の町は、かつて平安京を災いから守るべく創建された何百という社寺が、今も寂れることなくあり続け、ここに暮らす人々は、古くから変わらず目に見えないものに感謝をし、手を合わし生きています。そして、京都盆地をはるか数万年前にまでさかのぼると、もとは断層によってできた湖であり、その湖底からの湧泉が今も豊富な地下水を湛えていると言います。
私がアイスランドで感じ探していた、魂が戻るべきうつくしい場所は、私が育った京都にあったのだと気づきました。まるでアルケミストの物語のように、京都に生まれ、中学生のころから海外を夢見て17歳で渡米。写真家となり世界何十カ国を旅してきた中での数えきれない出逢いを経てたどりついた場所が、故郷である京都だったのです。
尾張屋は、創業以来550年以上、この京都の地下水をもとに食にまつわるお商売をさせていただいてきました。京都という地が1200年以上もの歴史を刻んでこられたのは、ひとえに目に見えないものの存在を日々忘れることなく、代々暮らしを受け継いできた人々の心根にあるのでしょう。時代の流れとともに、物質的に豊かになり、お金や地位、権力という見える力に縛られ、私たちの魂は大切な何かを欠いてしまった。そうした欠落感を癒やし、魂をもとある場所へと戻してくれるのが、淀みのない水の存在なのだと、私は信じています。
生きとし生けるものすべての源である水について思いめぐらせ、京都の水、日本の水、地球の水を旅するお話を、これからここで始められたらと思います。
参考:林屋辰三郎著『京都』(岩波新書/1962)